
またこの道
なんどもなんども同じ道を歩く
同じ幻想
砂埃

自らを信じないものは無神論者である
世間のまんなかに飛び込め。権力や、なんであろうとそれに対するあなたの欲望を満足させよ。その後で、そんなものは一切合切ほんとうにつまらないものだとわかるだろう。・ヴィヴェーカナンダ

自分に誇れる時間を作っていく
きれいなものにかこまれていると悪いことを考えない
心が傷つくとそれを修復しようとしてなにかがうまれる
・茂木健一郎「芸術脳」
心がおれない様にがんばりすぎて腰がおれた
座ることもできず四つ足歩行に退化
もちろん絵なんか描けない
暗黒には暗黒で対処しようと、ロシア文学に没頭
黒澤明の「どん底」見たいなぁ

自分の苦しみについてしか考えられないなんて情けない
心が乾くのを待つ いや渇くのを待つのか
なにもしない
考えない
私が描けない時も誰かがどこかで描いている
絵は完成していなくてもグルリンポチェはそこにいる
いるということにして生きる
お前が手にあふれるほどのものを持っているのなら、ナツメヤシの木のように惜しみなく与えるがよい。
けれども、与えるものがないのならイトスギのように自由であれ。(ソロー・森の生活)

惜しみなく与えた。あふれるほども持っていなかったにもかかわらず。
そして糸杉のように自由であろうとしてへし折れてしまった。
でも仕事はする。
ラムのダン(藍のグラデーション)。右は中米からの土産の天然藍。

うまくいかない。
それすら長い時間の中では小さなことに過ぎない。

折れずに続けること
ポプラのようにしなやかでいること

農業であれ、商業であれ、文学であれ、芸術であれ、贅沢な生活からは贅沢という果実しか生まれない。
ソロー「森の生活」
私が絵を描いている窓の外はおだやかな湾で、小学生が泳いで渡れるほどの向こう岸の丘の上に風力発電のモダンな白い風車が回っているのが見える。海岸に沿って電車が走る音が聞こえて夜は銀河鉄道みたいに輝いている。
「なんにもいえない時も、ただ美しいとだけいえた」
というのはある現代美術作家の言葉

今日・レシに向かうのは・最後かもしれない
毎日そう思って仕事をしたい。
祈るように労働をしたい。
できない時は?

できない時はしない
渡ろうか
やめようか
歌っていようか